八代のキリシタン殉教者列福記念公園


 1588年に豊臣秀吉は八代の領主としてキリシタン武将の小西行長を任命したことから日本有数のキリシタン隆盛の地となった。1600年の関ヶ原の戦いで敗死し八代は加藤清正の所領となった。キリシタンの栄える街は清正の望みと相いれずキリシタンを排斥した。
 迫害を恐れて転宗者や他藩へ逃れる者も多かったがこの地に踏み止まって信仰を貫き通すものも多かった。
 そうした中から指導者数名が家族とともに処刑された。行長の旧家臣2名その家族4名慈悲役と呼ばれた町方の信者3名とその子2名、合計11名が麦島の地で殉教した。

キリシタン殉教者列福記念公園の場所

 熊本県の中央、八代海に流れ込む球磨川の三角州にあります。麦島城址とは数10メートルしか離れていません。実際の殉教の地は定かではありませんが、三角州内のここよりも東にあったといわれています。
 まず、地図上で紹介します。 


 天空写真(googleマップ)で紹介します。 

 地図の黄色い線が国道3号線です。車で走っていると橋が2つあります。その橋と橋に挟まれたところが麦島の三角州です。3号線の三角州の信号を海の方(西)に向かうと緑の写真の大通りに出ます。そこを右折して前川まで来ます。左折して前川の左岸を下るとすぐ左側に立正佼成会のビルがあります。そこを左折してしばらく進むとキリシタン殉教者列福記念公園に到着します。 


全景


説明板


中央記念碑


記念碑の殉教絵図


記念碑の碑文


公園の右側(北側)


















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