球磨村(渡)総合運動公園の地層


人吉層



 八代方面から球磨川沿いの国道219号線を遡ると渡付近で展望が広がり人吉盆地となります。左側の丘の上に大規模な地層を見ることができます。
 JR肥薩線の渡駅を過ぎて1kmほどのところを左折して球磨村総合運動公園に向かいます。S字カーブがいくつかあって、道の終点にグラウンドとさくらドームがあります。
 まず、その終点まで行くと地層の説明板があります。この地層は“人吉層”という地層の一部だということがわかります。詳しくは次の説明板をご覧ください。




説明板









 ここに見られる地層は、人吉盆地の地下にある600mもある厚さの地層(人吉層)の一部であることがわかりました。260万年前には水上村の湯山が湖岸になるほどの深い湖だったということですね。
 したがって、今地層のある渡地区は当時は球磨川の流れはなく湖岸近くの湖底だったということになります。下流の球泉洞近くの大阪間に岸があり、そこから人吉湖の水が流れ出ていたということになります。
 湯山の市房ダムの湖面は300mの海抜になります。大阪間の球磨川は海抜100m程度ですから、湖があった当時は海抜300mですから、当時の大阪間峠は現在より200m高いところにあったことになります。また、城跡のある付近は現在海抜150m程です。したがってここは150m程の深さだったようです。この下には600mの地層があるということですから、湖ができたばかりのときには、750mの深さであったか、又は常に沈降する地殻変動が続いたことになります。凄いですね!地殻変動!!



地層の写真


 グラウンドの手前の東屋近くの地層です。水平から少し右下がりとなっています。地層を上下に貫く直線の草の生えているところがあります。これが断層です。断層ができるとき岩と岩がこすれ合います。するとそこに破砕した岩が砂になって挟まってしまいます。つまり破砕帯ができます。そこに草が根を伸ばして、筋状の草の線ができるのです。八代市日奈久町の鳩山のページにも同じように記載しました。




 通路に入って上写真の右側に近づきました。




 上写真の赤四角で囲んだところのアップ写真です。写真の左上にある縦方向の草の線は“断層”です。




 更にアップにした写真です。

















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